Mr.Children『彩り』/『HOME』

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Mr.Children

いやぁ、このサイトの名前の由来になっているのに、10回目の投稿でやっと書くなんて…

おかしいですよね。

まぁともかく書きます!!

この歌はどのように皆さんの人生に彩りを加えてくれましたか?

僕がこの曲に出会ったのは、中一か中二だったと思います。(それ以前にCMか何かで聞いてはいたと思います。聞き覚えありましたもん。)

一つ言えることは、確実にこの曲の御蔭で私の反抗期がやってくることを止めることが出来ました!!

客観的に見れば凄いことですよね、反抗期消しちゃうなんて。

思い出せば、やはりそのくらいの歳の子って順々に反抗期迎える訳ですよ。

んで、学校の窓ガラス割っちゃったりして(私は割ってませんよ!!

それって第三者として見れば、嫌な気持ちになるじゃないですか。

『彩り』の中で言われている、(後で詳述しますが…)ある行動(恐らく善行だと尚)が回り回って誰かを笑顔にし、目の前の人をも笑顔にするっていうことです。

この逆も存在するなぁと思ったんですよ。

つまり、悪い行い→知らない誰か、そして、目の前にいる人の笑顔を奪う、悲しませることに繋がりうるなと。

だから、自分で自分の反抗期を押し殺しました。

そんなパワーを持った歌なのです。反抗期を迎えそうなお子さんがいらっしゃればいかかがですか?

それはさて置き、歌詞を見ていきましょう。

ただ目の前に並べられた仕事を手際よくこなしてく

コーヒーを相棒にして

いいさ 誰が褒めるでもないけど

小さなプライドをこの胸に 勲章みたいに付けて

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai
『HOME』より「彩り」

単調な毎日。普通に過ごしていては、なかなか華やかな日々は過ごせないですよね。

ただ、眼前にある「仕事」に精魂を込める。

それに対してなかなか人は気づいてくれないし、大人になってしまえば、ほとんど褒められることってなくなってしまうものですよね。

自己肯定。日本人は割と苦手な印象があります。

少し一息ついて、自分を自分で褒めてあげることも大事なんだと思います。

僕のした単純作業が この世界を回り回って

まだ出会ったこともない人の笑い声を作っていく

そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える

モノクロの僕の毎日に 少ないけど

赤 黄色 緑

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai
『HOME』より「彩り」

人それぞれ社会の歯車であると思います。

その歯車の大きさはそれぞれ違うとしても。

この「単純作業」は私個人としては仕事だけではないと思っています。

例えば、それが挨拶であったり、ちょっとおばあちゃんに席を譲るであったり、ただお店で商品を買った時にお礼を言うことであったり…

ほんのちっちゃな行いだとしても、回り回って誰かを笑顔にする。

こういったことを自分がされたら、嬉しいじゃないですか、そしたら、誰かに対してもなんとなくいい行いをしてあげたくなる、というかそういうことに対するセンサーが感度を増すって感覚ですかね?

そういう小さなことの積み重ねで誰かが笑顔になるとしたら、救われるような心持ちになりません?

多分、私たちがしている「何か」が「誰か」を幸せにしてるんですよ!!

それが例え僕らの眼前に現れなくても、確かに存在しているのです。

ただ、ここの部分は賛否両論ある部分です。

多大な成功を収めているMr.Childrenが「単純作業」に対して下に見てるというような趣旨の批判もありますね。

そのような印象は個人的には受けないのですが…

この部分はある種Mr.Children、桜井さんに対しても向けられているような気もします。

一時期、売れに売れ、精神的にも病んでしまっていたという桜井さんにとって、作曲活動やレコーディング活動、そして、ライブでさえもモノクロな日々の単純作業と化していたのかなと思います。

僕らからすれば、ド派手で、バラ色の人生とも形容されるかのようなそれこそ、「彩り」に満ちた人生のように見えますが…

桜井さんにとっても、そんな単純作業を支えたのが、些細な生き甲斐だった。

そして、ふと回帰できる場所が「HOME」だったんだと思います。

歳を重ね、そんな経験を客観視して、また別のストーリーに仮託して作られたのではないかなと私は思います。

もちろん、他の制作秘話もあると思います。

今 社会とか世界のどこかで起きる大きな出来事を

取り上げて議論して

少し自分が高尚な人種になれた気がして

夜が明けて また小さな庶民

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai
『HOME』より「彩り」

SNSなどが全盛の今の時代だと一層耳の痛い話ですね。

世論やメディアの加熱している様を見ていると、ふとこの歌詞を思い出すことがあります。

一方で、社会を冷ややかに見つめながら、場面によっては偉そうに訳知り顔で話してしまっていることもある。(私に至って言えば、書評とかもその例かもしれません)

まだ何にも成し遂げてないのに…

一方で、上へ上へ、上昇志向であったり、自分を良く見せようというのはある程度大事なことではあると思います。

もしかしたら、手を伸ばしたら届くのかもしれませんしね。

憧れにはほど遠くって 手を伸ばしても届かなくて

カタログは付箋したまんま ゴミ箱へと捨てるのがオチ

そして些細な生き甲斐は 時に馬鹿馬鹿しく思える

あわてて僕は彩を探す にじんでいても

金 銀 紫

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai
『HOME』より「彩り」

何かに憧憬し、それに近づこうとする。

その高尚な「何か」に。

憧れって一つではないこともありますよね。

「ああもなりたい。こうもなりたい。やっぱりこっちも捨てがたいなぁ」と。

この様を「カタログ」に例えるのはさすがとしか言いようがありません。

だけども、それには期限があったり、多大な努力を要したりして結局どの憧れにも及ばずにその道を断念してしまう。

(僕も友人の結婚式でもらったカタログ付箋をしたまま、期限切れで捨てそうになっちゃいましたもん。)

こんなことを繰り返していると、なんとか拵えた自己肯定も揺らいでしまいますよね。

だって、その憧れと比して、自分たちの持っている影響力は恐らく小さいものになっちゃいがちですもんね。

「こんなこと意味ないよ」って自問自答。

そんな風に揺らいでは、また、何とかして「自己肯定」。そうしないと壊れちゃいますもん。

ただいま

おかえり

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai
『HOME』より「彩り」

「ただいま」「おかえり」というのもある種一つの作業ですよね?(私はこういった挨拶を交わすような家庭には育たなかったので、最近までこういった挨拶はテレビに出てくる似非関西人が「〜まんがな」というような都市伝説の的なものだと思っていました。)

「ただいま」「おかえり」と交わすだけでほっとする

「HOME」に帰った心地がしますよね。(しますよね?)

なんてことのない作業が この世界を回り回って

何処の誰かも知らない人の笑い声を作っていく

そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える

モノクロの僕の毎日に 増やしていく

水色 オレンジ

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai
『HOME』より「彩り」

そして、またここに帰ってくるわけですね。

「HOME」に一度帰ったことで、憧れと比べてしまって揺らいでいた思いも、再び「自信」を取り戻せたんのですかね。

なんてことのない作業が 回り回り回り回って

今 僕の目の前の人の笑い顔を作ってゆく

そんな確かな生き甲斐が 日常に彩りを加える

モノクロの僕の毎日に 頬が染まる

暖かなピンク

増やしていく きれいな彩り

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai
『HOME』より「彩り」

そして、自分の「作業」が目の前の人が明るい笑顔にする。そして、その笑顔は「僕」さえも彩ってしまうんですね。

「情けは人の為ならず」みたいです。

自分が誇りを持って行った「単純作業」はこのようにしていつか自分に帰ってくるのです。

そうすれば、より自信も持てますよね。

以上が『彩り』についてでした。

さて、残る謎は色についてです。

これというものがなかなかないので、無謀にも私の考えをまとめてみます。(間違ってたら教えてください!!)

登場する色の数は8色です。日本において8という数字は特定の意味を持っている印象がありますが、そこまで詳しくないので、今回は保留しておきます。

最初の三色って普通だと、赤(マゼンタ) 青緑(シアン) 黄 の色の三原色か、赤 青 緑 の光の三原色のどちらかになりそうですよね。

下が色の三原色です。

これが左からマゼンタ、シアン、そして、イエローになります。(PagesでRBGを配合し作りました。)

僕はマゼンタとかって言われてもピンと来ませんでした。(みなさんにとっては常識なのかも)

気になるのは緑と言い切っているところですよね。彩りのイメージとしては色の三原色を用いる方がすんなりきます。

シアンはどちらかというと青や水色に近いと思いますし…

緑は光の三原色です。光と色の三原色が混在して出てくることから、カタログの比喩にもあるように、分散化した憧れを指すのではないでしょうか。

その根拠としてはわざわざ「少ないけど」と前置きしているからです。

そして、増やしていくのは、かつて憧れの対象ではなかったシアンに近い、水色と、かつての憧れである赤と黄色が半分ずつ混ざったオレンジ。

「HOME」を経て、認識が変化したのだと思います。

他の色について考えると、金銀紫は高尚な色という認識でいいですよね。(今尚紫綬褒章などにも残るように、日本古来から紫は高貴な色ですから)

ピンクは赤めた頬の色についてはこの『彩り』が色の三原色を採用しているのだとすれば、ピンクに近いマゼンタ、その欲しかったものは目の前にあった…

という解釈をしてみます。

だいぶこじつけ、考えすぎかな…

本当はこうだよ!!とか、こうじゃない?ってのがあればお教えください。

あと、この『彩り』は言葉遊びも巧みであることが有名な曲でもあります。

曲名の『彩り』をローマ字にすると、IRODORI

反対から読んでも IRODORI

凄くないですか?

あと、一番の始まりは「ただ 目の前に〜」

   二番の始まりは「いま 社会とか〜 」

という言葉遊び。(これもすごいオシャレじゃないですか?)

これくらいですかね…(忘れてる気もする…)

非常に考えさせられる曲だと思います。

ここにはストーリーがあって、何が答えかはわからない。

考え続けていくことが必要不可欠なのかも知れませんね。

私たちは私たちのやるべきことに「誇り」を持って取り組んでいくことから始めるべきなんだと再確認させられました一曲でした。

【参考】この投稿のアイキャッチは「エンジンオフィシャル ストア 『HOME』」(http://store.enjing.jp/sp/syousai.asp?item=TFCC-86221)の画像を引用しております。

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