大なり小なり問題が跋扈する私たちの日常。解決の糸口が小栗旬さんが一番好きなあの曲!?/『口がすべって』

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さて、近頃、非常に日韓関係が悪くなってますね。

 

貿易に面で抑制をかけたりと今までにないほどにその政治面での関係性の悪さが極まっていると思います。(過去を振り返れば、もっと厳しい時代はありましたが…)

 

政治面での関係の悪さはかねてから指摘されていたものの、民間レベルの関係の良さは非常に良いものがあったこれまでの日韓関係ですが、今回ばっかりは少しずつ暗雲が立ち込めているのかもしれません。

 

韓国での日本製品不買運動が激化したり、TWICEの日本人メンバーが出て行けと言われたり、日本ではBTSのライブに関して辛辣な言葉をかける人がいたりとこちらでの影響も出てきていると思います。

 

もともとは日本国内でもヨン様フィーバー以降の韓流ブームは非常に長く続いていますし、韓国国内での日本に愛好的な人も多いと聞きますし、訪日韓国人も非常に多かったですよね。

 

でも、現状このような状況になっている。

 

一部の人だけだとは思いますが、悲しいですよね。

 

私個人として、近くにいた韓国人の方は留学生としても、非常に優秀で勤勉な方が多い印象もあったり、コンビニなどでもややこしい業務をスムーズにこなしてくれるなぁという印象であったりであるだけになかなかこの流れとの差異を感じずにはいられないです。

 

「難しいなぁ」なんて思いつつ、この曲を思い出しました。

 

ちなみに、小栗旬さんがめざましテレビで好きなアルバム曲として挙げていた一曲です。

 

 

 

『口がすべって』作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai

 

口がすべって君を怒らせた

でも間違ってないから謝りたくなかった

分かってる それが悪いとこ

それが僕の悪いとこ

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai  
『SUPERMARKETFANTASY』より『口がすべって』

間違っていないことを言ってしまった時は確かに、謝りたくはないということありますよね。 

 

でも口がすべったという表現だから、正しいわけではなく、「君」を怒らせてしまう事は少なからず認識はしていたんですよね。

 

変に正当性があると、それを根拠にして謝りたくなくなる事、不合理だけど、多くのひとが共感できるかと思います。

 

「ゆずれぬものが僕にもある」だなんて

だれも奪いに来ないのに鍵かけて守ってる

分かってる 本当は弱いことを

それを認められないことも

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai  
『SUPERMARKETFANTASY』より『口がすべって』

 

でも、その謝れない事ってしょうもないプライドに起因する場合が多い。

 

そのプライドや体裁、面子を守るために、躍起になっている。

 

でも、どこかではそのプライドだとかを引き剥がすと、自分という存在はそれほど大したものでもなくて、弱くちっぽけな存在であるという事は分かっていても中々それが認められない。

 

思い通りに動かない君という物体を

なだめすかして 甘い言葉かけて 持ち上げていく

もう一人の僕がその姿見て嘆いているんだよ

育んできたのは「優しさ」だけじゃないから。。。

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai  
『SUPERMARKETFANTASY』より『口がすべって』

 

人を動かすのに、「うまく」取り繕う「優しさ」というアプローチに頼り、すがってしまう。

 

「育んできた」というのはどこまでを指すのか?

 

単純に「君」との間のものなのか?それとも「僕」の人生の中でという大きなスケールでのことなのか? 

 

今回は後者で考えたいと思います。前者も後者に内包されているでしょうし。

 

いわゆる「優しさ」がその人のことを思った優しさではないということが多々ありますよね。 

 

甘い言葉やなだめること以外のアプローチがいいと分かってはいても、なかなかそれは撮ることが出来ない。

 

「自分が生きてきた中で、いろんなことを経験し、学んできた中で、今すべき他の方法もあったろう?」 

 

そんな葛藤を感じます。「僕」は客観的な視点を持っていつつも、行動にまではいけないのですね。

 

争い続ける 血が流れている

民族をめぐる紛争を 新聞は報じてる

分かってる 「難しいですね」で

片付くほど簡単じゃないことも

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai  
『SUPERMARKETFANTASY』より『口がすべって』

 

「君」と「僕」との話から飛んで、民族紛争です。

 

世界の各地で民族紛争は絶えません。

 

『FUCTFULNESS』などでも指摘されているように、その数は確かに減少しているのですが、やはりメディアなどで見るその紛争は映像も伴って非常にショッキングなものです。

 

でも、この日本の中にいると、なかなか正直当事者意識というのはもてないもの。

 

訳知り顔で、「難しい」だなんて言ったって、何も問題解決には繋がらないですよね。

 

 

誰もがみんな大事なものを抱きしめてる

人それぞれ価値観 幸せ 生き方がある

「他人の気持ちになって考えろ」と言われてはきたけど

想像を超えて 心は理解しがたいもの

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai  
『SUPERMARKETFANTASY』より『口がすべって』

 

民族紛争と「君」と「僕」との揉め事もここに尽きる。

 

民族や国家という大きなスケールでも、個人という小さなスケールでも、それぞれ、「価値観」や「幸せ」、「生き方」の形や理想が違う。

 

こういったものを曲げることが出来ず、そして、理解することが出来ずに、大なり小なり問題が生じる。

 

問題の根源の一つとして、先のプライドや面子があるというのは正しいと思います。

 

 

流れ星が消える 瞬く間に消える

今度同じチャンスがきたら

自分以外の誰かのために

願い事をしよう

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai  
『SUPERMARKETFANTASY』より『口がすべって』

 

流れ星に願いを。

 

最近、流れ星を見ましたか?そして、何かを願いましたか?

 

なかなか見ることも出来ないし、そもそもいつ夜空を見上げたかな?というレベルの方は多いんじゃないかな?と思います。(悲しい哉、私もそうです。)

 

流れ星に願いを唱える、そんな刹那の瞬間に自分以外の人のために願うことができるって素敵ですよね。

 

その願いというのは訳知り顔で「難しい」と語っていた時のように、なんの意味もない行為なのかもしれない。

 

そうすることで他人の気持ちが分かったり、価値観や幸せが分かったりするわけでもない。

 

それでもふとした瞬間に真っ先に他人のことを思えるようになりたいものです。

 

口がすべって君を怒らせた

でもいつの間にやら また笑って暮らしてる

分かったろう

僕らは許し合う力も持って産まれているよ

ひとまず そういうことにしておこう

それが人間の良いとこ

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai  
『SUPERMARKETFANTASY』より『口がすべって』

 

人間というものは確かに他人の気持ちが完全に分かったり、価値観だったりを共有する事は出来ない。

 

しょうもないプライドっているのもあって、そういった要因が故に争いが生じてしまったりもする。

 

それを解決する手段として「許す」という行為も備わっているんですよね。

 

許すという行為は価値観や他人の気持ちを完全に理解することによって出来うるものでもないし、理解を高めるものでもないこともある。

 

むしろ、悪い言い方をすれば、そういった問題をそのままにしておくことでもあるのだと思います。

 

理解などのレベルほど納得できるものではないかも知れないけど、それはそのままとして受け入れることが出来る。

 

この許しは人間の力の中で大きなものであるかも知れないし、そうでもないのかも知れない。

 

「君」と「僕」の間でも「許す」ことが出来たのだから、「間違ってもいなくて、正しくもないこと」が両者の立場でプライドや威信をかけて争う民族紛争でも…?

 

これが正しいのかはわからないけど、まぁ間違っているとも言えないから、一先ずこういうものっておこうと自分の中で納得する。

 

これも結局世界に何の影響も及ぼさない訳ですもんね。

 

以上が『口がすべって』でした。

 

「間違ってもいなくて、正しくもないこと」というのは非常に難しい問題でもあるのですが、逆にそれが問題をそれはそれとして受け入れることにもつながる。

 

 

人間の性質も、非合理的であるが故に問題を引き起こす一方で、非合理的に問題を解決することも出来る。

 

そんな繊細な感覚って大事ですよね。

 

私たちはすぐ白か黒か、是か非かを決めたがりますが、そんな単純なものばっかりでもない。

 

すっと理解できるものばっかりでもないでしょう。

 

これは「君」と「僕」との喧嘩という小さなスケールでも、民族紛争という大きなスケールでも同じなのかも知れないという一つの「回答」が示唆されているように思います。

 

それについては合っているのか、間違っているのかもわからないですけどね。

 

今起きている問題も、物事を単純化しないで、それはそれとしてそのままの形で認め、許すという行為まで世界中でできればいいですね。

 

これが正しいのか、間違っているのかわからないですけど。

 

とりあえず、これを私の「回答」としておきますね♪

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