皆さんは羊ですか?狼ですか?
「何を言っているんだ?」って感じかも知れません…
その前に画像がやぎじゃん…という感じなんですが、私が触れ合って、写真があるのがこのヤギしかいなかったんです泣
ごめんな、羊。
あんまり羊って触ったことないかもなぁ…
狼と羊、どう定義する出来かは、明確なものはないのですが、かつてインタビューかラジオ?(ソースは追記します…)でMr.Childrenの皆さんはどうですか?といった問いを立てられた時に、ナカケーさん以外はみんな羊という回答がありました。
狼のイメージから言えば、孤高だとか狡猾、聡明だとかイメージが湧いてくるものだと思います。
一方で、羊はのんびりと群れて、のほほんと生活しているイメージですよね。
天才とそうではないものというような理解で推し進めていきたいと思います。
それで言うと、Mr.Childrenの皆さんは全員狼だと思うのですが、まぁ、みんな狼だとMAN WITH W MISSIONみたいになりますよね。(そういうことを言っている訳ではない)
この『羊、吠える』ですが、キリストの有名な教えが引用されていますね。
『羊、吠える』を語る際に、あまり言及されていないことも多いなぁという印象が多いので、一般的にはあまり知られていないのでしょうか。
この『羊、吠える』のテーマは「才能」と「二人の関係」だと思います。
そして、「狼」という理想と「羊」である事実との葛藤だと思います。
個人的には中学生の頃、この『羊、吠える』と出会って衝撃を受けたことを覚えています。
自分には才能がないなぁと思って高いレベルにある周りの環境に半ば絶望していたのですが、この『羊、吠える』と『東京』を聞いて、「才能がなくても、頑張ってみよう」「成功しないかも知れないけど、努力を行った先に何かあるのかも知れない」と思うようになり、結構頑張って、多少の成果は挙げられた記憶があります。
ある種、人生を変えた一曲ですね。
中学生などの思春期にありがちな「頑張っているのダサい」みたいな錯誤に囚われなかったことは本当に良かったと思います。
今思えば、もっと効率的に、努力できたなぁとは思いますが、まぁ人生はそういうものなのだと思いますし、頑張るという経験がちゃんとできて、しっかりと癖付いたことは価値があったと思います。
それでは私のそんな思い出はここら辺にして…
内容に入り、解釈していきたいと思います。
僕らの現状に取り立てた変化はない
作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲 Kazutoshi Sakurai
いいこと「49」 嫌なこと「51」の比率
あまり多くの期待を もう自分によせていない
ときどき褒めてくれる人に出会う それで十分
『SUPERMARKET FANTASY』より『羊、吠える』
いいことは49%、嫌なことは51%。
非常に現実的な割合だと思います。
感覚的には嫌なことの方が多いと感じちゃいますが、実際問題これくらいなのですかね。
ただ、のちに出てくる信条とのズレが微妙に出てきているのかも知れません。
ただ、気持ち嫌なことが多くなっている現状も今まで生きてきて、あまり才能がないということには気がついてしまっているため、まぁそんなもんかとも思ってしまいますよね。
いいことというのも、時たま褒めてくれる人がいてくれれば、いいかな?と。
服着た犬は鏡の前 何を思うのだろうか?
作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲 Kazutoshi Sakurai
ここ2、3日は そんなことを考えている
『SUPERMARKET FANTASY』より『羊、吠える』
服を着た犬は鏡の前で何を思っているのでしょうか?
この歌を中学校の頃聞いて、必死で考えました。
飼い主のエゴで服を着せられ、なんか良く分からないまま、目の前に映っている何物かを見つめている。
そもそも鏡のシステムを理解できているのか?なんて考えていました。
ただ、解釈上は犬が人の着るものである服を着ているという構図が大切な訳ですね。
狼の血筋じゃないから
作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲 Kazutoshi Sakurai
いっそ羊の声で吠える
「馬鹿みたい」と笑う君に気付かぬ振りしながら
『SUPERMARKET FANTASY』より『羊、吠える』
自分は狼(=才能豊かな人)ではない。
むしろ、羊(=才能のない人)である。
それでも、吠えるという行為をしたい。
狼の真似をするのではなく、羊は羊のままで吠える。
ここでいう「吠える」という行動には人それぞれ色々なものが入ると思います。
おそらく、多くの人が「自分は才能がないから…」と諦めてしまうような類のものなんだと思います。
「才能ってなんなの?」というのはそれだけで非常に長くなってしまうので、割愛しますが…
才能がないなら才能がないなりに一生懸命にやってみる。
天才の真似事をするのではなく。
「君」には「羊(=才能がない)癖に」なんか言われながら、笑われている。
見方を変えれば、そこには「君」なりの優しさも含まれているのかも知れません。
よく「(才能がないのに)そんなことしてもできっこない!」「(才能がないのだから)もっと現実を見るべきだ」「(才能がないから、成功できないのに)意味がない」ということを言われたりすると思います。
そういう人はただの批判家である場合もありますが、心から心配してくれている場合もあると思います。
その心配が正しい訳ではないのかも知れませんし、ちゃんと正しいものかも知れません。
「僕」のように、羊であっても、羊のままで戦い続ける人でありたいと思います。
また、「僕」は「君」に本当は褒めて欲しいのだと思います。
でも、「君」は懸命に「吠えている僕」を笑う。
ここら辺のアンバランスさが2番にさらに説明が加わっていきます。
僕らの信条は50/50だったよね
作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲 Kazutoshi Sakurai
でもいつしか僕の愛情だけが膨らんでた
『SUPERMARKET FANTASY』より『羊、吠える』
先ほど言及した通り、「僕」と「君」の信条は50/50。
今時な感じです。
それでも、気がつけば、「僕」の「君」に対する愛情だけが膨らんでいく。
絡めた指に効力はない それをわかってても
作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲 Kazutoshi Sakurai
自らほどく勇気もないまま過ごしている
『SUPERMARKET FANTASY』より『羊、吠える』
手を繋いだりしても、「君」からの愛情は「僕」のものとの相違を、むしろ、失われてしまっているとすら感じてしまう。
ただ、そんな現状に気がつきながらも、その現状を打破することもできずにいる…
殴られたなら もう片一方の頬を差し出すように
作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲 Kazutoshi Sakurai
潔く生きれたならどんなにか素敵だろう
誰かが開けた扉 閉まらぬそのうちに通り抜ける
こんな いやらしい習性に頭を掻きながら
少し憎みながら
『SUPERMARKET FANTASY』より『羊、吠える』
「殴られたなら もう片一方の頬を差し出せ」というもはキリストの教えであります。
私個人としてはキリスト教徒ではないのですが、意図せずというか、結果的に2校ほど、ミッションスクールに通った経験があるため、ほんの少しだけ詳しいのかも知れません。
でも、この名句は教養の域じゃないかな?と思いますが、微妙なラインなのかも知れません(もしかしてズレているのかも…)
キリストが指摘するような高尚な生き方というのは、少し学べば別にキリスト教徒でなくても憧れますよね。
歴史に名を残すような教祖というのは言い難い魅力があると思います。
私も脇から生まれたかったですし、産声をあげる前に「天上天下唯我独尊」と言いたかったですもん。
そんな素敵な高潔な生き方をしたい。
でも、そう簡単にできるものではない。
誰かが切り開いたチャンスに乗じて、問題を切り抜ける。
「最初のペンギン」にはならずに生きている自分がいる。
まさに群れで生きる羊の如く。
狼の土壌で戦おうと思っても、節々に羊の血統が垣間見える。
そのことに頭を悩ましつつ、嫌悪感を抱きつつ…
殴られたなら もう片一方の頬を差し出すように
作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲 Kazutoshi Sakurai
潔く生きれたならどんなにか素敵だろう
狼の血筋じゃないから
今日も羊の声で吠える
「馬鹿みたい」と笑う君に気付かぬ振りしながら
少し憎みながら
深く愛しながら
『SUPERMARKET FANTASY』より『羊、吠える』
高尚な生き方を夢想しつつも、羊は羊のままで「吠え続ける」。
「君」は変わらず、嘲笑し続ける。
そんな褒めてくれず、ただただ嘲笑し続ける「君」を憎悪を抱きながらも、そうは言っても、まだ「君」を深く愛して「しまっている」。
以上が『羊、吠える』でした。
しっかり見てみると、非常に緻密な構造になっていますね。
「狼」のようになりたいと思う「僕」ではありながらも、それは叶わないと知ってしまっているため、「羊」のままで「吠え続ける」という。
おそらく、手をほどくことも「狼」には出来るんでしょう。
でも、「羊」の血統である「僕」のはそれができない。
「狼の中の狼」(なんか語弊のある表現)である世界的宗教の教えに心踊らせるけれど、結局羊の「僕」には合わない。
狼が行う象徴的行動である「吠える」という行動を「羊」である「僕」が行う。
人だけがもの着るである服を着る犬。
これらは近似的な性質を持っている訳ですね。
違いは犬は着せられたという受動的なものという部分くらいでしょうか。
個人的には服を着せられた犬というのは、可愛いですが、少し惨めにも感じてしまいます。(犬ではないですが、今まで服を着せたペットにみんなごめん。)
本来持っている体温調節機能も奪われてしまうこともありますしね。(ただ、アスファルトなどは靴を履かせないとやけどしてしまうこともありますし、複雑です汗)
そのどこか惨めなイメージを「僕」は感じ取っているのだとも思います。
「羊のくせに」という逆風に戦いながら生きつつも、「羊」の部分を拭いきれない現状に嫌悪を抱いている。
日本人の中で挑戦したりしている人には非常に深く響く一曲だと思います。
タイトルだけ見れば、めちゃめちゃふざけた曲ですが、内容としては非常に考えさせられるものでしたね♪
コメント
[…] この種の例えは『羊、吠える』の例えとも近いものがありますね。 […]