Mr.Children、隠れた名曲。至高のラブソングから一転!?やってしまいがちなミスとは!?/『水上バス』

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Mr.Children

水上バスって乗った事がありますか?

 

私は無いなぁ…

 

フェリーと何が違うんだろう?と思っていたのですが、思い返せば乗るチャンスはあったみたいです。

 

広島で、宮島に行くときに!!

 

そこで場所によったら、水上バスで観光する選択肢もあったようなのですが、普通にフェリーに乗っていましたね。

 

私個人としては水上バスと聞くと、大阪城公園内にある水上バスを思い出します。

 

まぁ、これも乗ったことはないのですが…

 

ちなみに今回の曲である『水上バス』は桜井さんが実際に赤レンガ倉庫まで行って、実際に水上バスに乗って書かれたものみたいですよね。

 

まだ赤レンガ倉庫行ったこともないので、一度行ってみたいです。

 

水上バスに乗って、やってくるのは非常に美しいイメージが喚起されますよね。

 

私たちが水上バスを利用する時というのは普通は観光などが多いはず。

 

そのことも相まってどこかワクワクする非日常を内包した日常というイメージが付随しています。

 

この『水上バス』はストーリーの美しさなどや柔らかい曲調などから、隠れた名曲として評価されています。

 

「視点も桜井さんっぽいなぁ」と感じさせられる詞が多く、もっとライブでやって欲しいなぁなんて思うのですが…

 

そこそこのファンじゃないと聞いたこともない曲でしょうね。

 

まだ聞いたことはないなぁという方がいれば、是非聞いてみて欲しい限りです!!

 

『水上バス』  作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai

 

買ったばかりのペダルを

息切らせて漕いでは桟橋へと向かう

深呼吸で吸い込んだ風は

少し石油の匂いがして

その大きな川に流れてた

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai
『SUPERMARKETFANTASY』より『水上バス』

「買ったばかりのペダル」。

なかなかペダルだけ買うということもないですから、普通に買ったばかりの自転車という理解で良いですよね。

 

でも、もちろん、「新しい自転車買いました!!」ということではないと思います。

 

これが伝えたいことは「君」との関係がまだ真新しいこと、つまり付き合いたてだということであると思います。

 

待ち合わせ場所である桟橋へと息を切らすほど急いで向かっていることからもその高揚感は伝わってきます。

 

その昂る気持ちを落ち着けようと、深呼吸をすると、石油の匂いがする。

 

実際に赤レンガ倉庫の辺りに工場があってそういう匂いがするのかも知れませんし、水上バスから発せられるものなのかはわかりません。(すみません、経験不足で…)

 

実際行ってみるとわかると思うので、いつか行ってみたいとより思いました。

 

ここで嗅覚という感覚にもイメージを喚起することでよりリアルな世界観が広がっていると思います。

君を待ってる 手持ち無沙汰に

ぼんやりした幸せが満ちてく

向こう岸から ゆるいスピードで

近づいてくる水飛沫は君かな?

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai
『SUPERMARKETFANTASY』より『水上バス』

気を落ち着けようとしても、なかなか難しく、何をする訳でもなく待っている。

 

何となくそんな時間すらも愛しく感じ、「君」の来訪を心待ちにしている。

 

皆さんの中の思い出と混ざり合って共感できる方もいるのではないかな?と思います。

「近づいてくる水飛沫」とゆっくりと到着する水上バスを例えているのはさすがだなぁと感じます。

 

水上バスの中から僕を見つけて

観光客に混じって笑って手を振る

そんな透き通った景色を

僕の全部で守りたいと思った

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai
『SUPERMARKETFANTASY』より『水上バス』

やはり水上バスに乗っているのは観光客が多いもの。

 

その中で、恥ずかしげもなく笑顔で手を振っている「君」。

 

ここに「君」のキャラクターが出ていると思います。

 

そして、「僕」から見たそれは非常に美しい光景であるということは想像に難くないですよね。

君乗せて漕ぐペダルにカーラジオなんてないから

僕が歌ってた

そのメロディーに忍ばせて

いとしさの全部を

風に棚引かせて歌ってた

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai
『SUPERMARKETFANTASY』より『水上バス』

 二人乗り!!ダメですよ!!

 

カーラジオといえば、『ロードムービー』

 

『ロードムービー』バイクの歌であれば、この『水上バス』は自転車の歌(タイトルが水上バスなんですけど…』 

 

そして、「棚引かせる」という言葉。

 

あまり使いませんよね。

 

なびかせるなら使うので、そう行った意味に誤解されがちですが、雲や霞が横に薄く長く引くように漂っている様、もしくはそれに似た様子などを指します。

 

つまり、イメージとして歌っている歌が「僕」と「君」の乗った自転車の後ろに連なっているような感じですね。

 

それはまるで、譜面に楽譜を書いていくように

 

そして、その音楽には「いとしさの全部」を忍ばせていた。

 

 

「この間偶然見つけたんだよ

新しいカフェ きっと気に入るよ」

君と過ごす日のことをいつでも

シミュレートしてこの街で暮らしてんるだ

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai
『SUPERMARKETFANTASY』より『水上バス』

 

日々の生活の中でも、「君」と次にどうやって過ごすかをイメージしながら生活している。

 

何となく理解できる方も多いのではないでしょうか。

 

「君」と過ごすとき以外はシミュレーション。

 

ただ、そこには一種の重さのようなものが…

 

夕日が窓際の僕らに注ぎ

君は更に綺麗な影を身につける

君への思いが暴れ出す

狂おしいほど抱きしめたいと思った

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai
『SUPERMARKETFANTASY』より『水上バス』

 

美しい描写ですね。

 

夕日が窓から差し込んできて、その光に照らされる「君」ではなく、綺麗な影を纏う方に焦点を当てている。

 

そんな美しい情景に「僕」の「君」への思いは更に肥大化を重ねる。

 

川の流れのように

愛は時に荒れ狂ってお互いの足をすくいはじめる

僕が悪いんじゃない でも君のせいじゃない

「さよなら」を選んだ君はおそらく正しい

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai
『SUPERMARKETFANTASY』より『水上バス』

 

美しく穏やかな表情を見せていた川も時として人に牙を剥くこともある。 

 

それと同じように愛というのは美しく向けられている時には非常に価値のあるものですが、それも度が過ぎてしまえば、色んな弊害が出てきてしまう。

 

ここまでのところ、「僕」と「君」との愛情表現のバランスが非常に偏っていた印象を受けました。

 

「僕」の愛は非常に大きなものになってしまい、「君」だけでなく、無意識に「僕」自身にも大きな負担となってしまっていた。

 

そのバランス感の欠如は問題として顕在化し、結果的に別れてしまうこととなった。

 

ただ、「君」が「僕」と同じ量の愛情を持って、注いでいればそれはそれで幸せだったのかも知れません。

 

でも、実際には「君」が「僕」に注ぐことのできる愛情の量は「僕」に比べて少なかった。

 

これはどちらの性質が悪いということではないと言えますよね。

 

ただ、「愛」ということに関してはバランスが悪かった。

 

どちらが悪いということではないのだけれど、このまま一緒にいては二人とも幸せになることは難しい。 

 

だから、別れは正しいというのは「僕」も理性的には理解できる部分なのだと思います。

悲しみが満ちてく

僕は待ってる 今日も待ってる

想い出の中に心浸して

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai
『SUPERMARKETFANTASY』より『水上バス』

 

それでも、心のどこかで、いつか「僕」の持っている愛情に「君」の愛情が等しくなることも願っている。

 

美しい情景を共有していたあの頃を思って。

 

水上バスの中から僕を見つけて

観光客に混じって笑って手を振る

そんな穏やかな景色を巻き戻すように

川の流れに沿って

ひとりペダルを漕いで

作詞 Kazutoshi Sakurai 作曲  Kazutoshi Sakurai
『SUPERMARKETFANTASY』より『水上バス』

そんな「君」との美しい情景を象徴するのが「水上バス」でのあの光景。

 

そんな暖かな思い出を、いつも歌いながら自転車を漕いで、かつてそこにあった「見えない音符」という愛情を辿りながら…

 

以上が『水上バス』でした。

 

柔らかなラブソングかと思いきや、さすがMr.Children。

 

変化なしでは終わりません。

 

何かの媒体で、この結末はメンバーからもちょっと不満があり、歌詞を書いたはずの桜井さんのこんな結末になるなんて…と思ったという記事を読んだ気がするのですが…

 

どこで読んだか思い出せない…

 

でも、この悲しい結末だからこそ、名曲として存在しているのかも知れませんね。

 

「この歌を基に一冊くらい小説を書けそうだなぁ」と思うほどの作品でしたね。

 

こういう社会的にはあまり光の当たっていないアルバム曲もとんでもなく高いクオリティだから、Mr.Childrenのファンはやめられないんですよね。

 

ペダルというあまり自転車の表現には使われない部分が多用されていたことには意味があるのだと思います。

 

「僕」の乗っているペダル(自転車)は自発的に漕がなければいけないもの、一方で、水上バスは乗るものですし、自転車の二人乗りも「君」は乗せられているだけ。

 

深読みなのかも、読み違いなのかも知れませんが、こういった部分にも掛け違いがあるという間接的な表現なのかも知れませんね。

 

私たちも「僕」のように重すぎる愛情は悲しい結末も招いてしまう場合もありますし、注意が必要なのかも…

 

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