革命的な文章を書く上でのマインドセット。ただ、それは文章だけでは終わらない…/『読みたいことを、書けばいい。』

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読書

 

 

 

この本を読めばわかること・身につくこと

・文章を書く上で、重要なマインドセットを学ぶことができる

・「価値」とは何かを考える契機を得ることができる

 

 

 

 

究極を言えば、「読みたいことを、書けばいい。」

 

この警句だけあれば、正直十分であると思う。(それを言ってしまえば、ここから下に続く私が書く文章はなおさら読む価値がないものという矛盾を抱えていることを承知で言ってしまおう)

 

それほどまでにこの一文の魔力は凄まじいものなのだと強く思う。

 

しかし、この「読みたいことを、書けばいい。」という文言が「ふーん」という感じで、全く響かない人もいるだろう。

 

かく言う私もそうだったので、非常に気持ちはわかる。

 

週に2、3回は頼まれてもいないのに、書店に顔を出す私は当然、この『読みたいことを、書けばいい。』を見つけた。

 

最初の印象としてはどこかで聴き馴染んだ「書きたいものを書けばいい」というような語だなという印象に過ぎなかった。

 

ペラペラと数ページめくり、自分という読者を想定した執筆に関するものだとわかると、そっと元の位置に本を直した。(「直した」は関西弁だと思い出す度驚くのだが、元の状態に戻すや片付けるの意、修理ということだけを指すわけではない。)

 

「自分が自分の文章読んでもつまらんやろ。何の意味があんねん。」

 

といった感想と共に。

 

私がイメージする読むという行為は「未知の情報に触れる」だと考えていたのだな、と今になって思う。

 

しかし、この本、そして、「読みたいことを、書けばいい。」という文言は何事もなく、戻された本とは裏腹に、私の心に刻み込まれたのであった。

 

安っぽい恋愛漫画のように、何てことない出会い。

 

ただ、ふとしたきっかけを与えられれば、加速していくその時を待つかのように。

 

少し脱線するが、このブログは本当に読まれていない。

 

基本的に何のリアクションもいただけないので、便所の落書きなんかに近いのかもしれない。

 

昔、遊んだ公園の、中が突き抜けトンネルになっている遊具の中に書かれたどこの誰と誰かもわからない相合傘や、よくわからないポエム、覚えたての卑猥な言葉…

 

そんなものに近いのかもしれないとすら思う。

 

そんな私のブログでも1日に20人近くは現在見てくれているようである。

 

もう100回近くの投稿になるが、こんなクソみたいな駄文を読んでくれる人は多分、いい人だと思う。

是非とも幸運が訪れてほしいものである。

 

あいにく、私にその力はないのだけれども…

 

少し話を戻すと、100記事ほど書いてくると、題材も限られてくるし、書くために、書くに近い状態になってしまっていることに気づく。

 

そんな時にこの本と出会ってしまったのである。

 

それだけではなく、プライベートで友達や自分の黒歴史を自分の持ちうるユーモアを注ぎ込んで、執筆していたものも同時期に制作していたのだ。

 

「ほんの一週間くらい投稿をお休みしよう。」

 

などと考えていたが、ふとある自分の姿に気がついてしまったのだ。

 

それは自分が心血を注いで書いた、黒歴史の詰まった制作物を度々自分が開いて、読んでニヤニヤしているのである。

 

これは客観的に見ると、一大事だ。

 

気持ち悪いなどということは言うまでもないが、自分が心血を注いで書いたものを、それを読んで心から楽しむという少し鼻で笑っていたあの本のタイトル、「読みたいものを、書けばいい。」を実践してしまっていたのだ。

 

そこで、ハッと気づいてしまった。(ここで『ラブストーリーは突然に』が流れる)

 

「本来、書くってこういうものなのだ」と。

 

そうすると、少し惰性と化していた執筆活動が空虚なものに感じてしまい、なかなかブログを書く自信がなくなってしまった。

 

今まで書いてきたものの中には書いてよかったと思えるようなものは大いにある。

 

だが、「書く意味あったのか?」というのも正直あると思う。

 

 

そんな迷いを払拭しようとしていたら、気がつけばこの『読みたいことを、書けばいい。』を手に取って、書店のレジに並んでいた。

 

 

この本、『読みたいことを、書けばいい。』について。

 

一見、文章術の本のようだが、正直この本の作者の文章は好きではない。

 

何と言うか、洗練されているようには思えるが、苦手だという印象を受けてしまう。

 

夏休みに入るか入らないかの暑い夏の日にふとした用事で、友人と職員室に入って、強面のやたらと饒舌なベテラン教師に絡まれ、長話をされる感覚、お盆におばあちゃんの家に帰って、ビールを3、4本空けたおじさんがご機嫌でうだうだと話をしてくる感覚。

 

流れるように展開されていくが、こちらとしては苦笑いが続く…

 

そんなことを思い起こさせる文章だ。

 

世に出ている感想では、抱腹絶倒と形容している人もよく見かけたが、私はそこまで面白いとは思えなかった。

 

ベテラン教師にも親友がいるように、親戚のおじさんにも愛する人がいるように、人には相性というものがあるものだ。

 

単に私とは合わなかったというだけなのだろう。

 

そこに深い意味はないんだろうと思うので、あまり深刻に考えないで欲しい。

 

だが、今時、非常に文章がうまいのに、「苦手」というような感覚を抱けるというのもすごいのではないだろうか。

 

なんの個性もない文章ばかりがこの世界には溢れかえっている。

 

文章というものは難しいものだと感じる中で、こんなに「うっとなるほどの人間臭い文章」は一読の価値はあると強く思う。(相性は人それぞれですから、どんな印象を受けるかは責任持ちません)

 

「でも、面白くない文章やと思う人の文章の本を何でお前は書いてるん?」という疑問も湧いてくるものだろう。

 

そもそも、この本は文章術の本ではないと明言されている。(知らずに買ったやつが悪いということだ、私のように…)

 

文章を書く上でのマインドセットについての本だという。

 

このマインドセットこそが、「読みたいものを、書けばいい」に集約されているのだ。

 

このマインドセットを深掘りすることは本書を読んで貰えばいい(結局、要約などしても仕方がないということをこの本から学んだ)として、私がこのマインドセットを一言で表すとしたら、「『価値』を生み出すことを念頭におけ」というものだろうと勝手に思う。

 

わざわざ四苦八苦して、推敲を重ね、書くという行為に挑むのに、それが元々この世界に存在しているものの焼き直し程度であるなら、そもそも書く必要がないということだ。

 

それでも何か対象物に触れ、この世界にはまだ存在しない「価値」を生み出せると思うのなら、その対象物、それ自体の一次資料を読み込むことが必要になる。

 

これは軽視されがち、もしくはわかっていてもサボってしまいがちではあるが、思考法の名著、J・W・ヤングの『アイデアのつくり方』でも同様のことが指摘されている。

 

「良薬は口に苦し」とは昔から言うけれども、私たちはどんなに効果のあることでも、それに精神的苦痛が伴えば、どうにかこうにか避けようとしてしまうのだろう。

 

そんな苦くて、きついことを超えてもなお、「価値」を生み出せるというのならばそこでやっと書けばいいのだ。

 

ただ、繰り返し、「価値」という言葉を連呼しているが、有名人でもない限り、書いてすぐ誰かに影響を与えたりすることは出来ない。

 

いわゆるバズるということも、全くの一般人が狙ってバズらせることなど出来ないだろう。(そんな方法が教えて欲しいし、本にでもして欲しいものである)

 

ここで、『読みたいことを、書けばいい』の作者、田中泰延さんの言う「価値」というものが明確になるのである。

 

つまり、題の通りだ。

 

自分が第一の読者として、楽しめるコンテンツを書くということ、それがこの本、『読みたいことを、書けばいい』における書く上でのマインドセットと言うことができると思いう。

 

誰かを意識して書いても、その誰かに読まれなければ意味がないだろうし、その意識も毎回マーケティングを綿密に行う人も少ないだろうし、その効果には疑問符がつく。

 

つまり、必死で書いた文章も、誰かのために書いたなら、誰かが読んでくれなかったら、書くという行為は徒労に終わり、「価値」を生み出せないのだ。

 

その点、自分という読者を意識すれば、自分が読んで楽しいというような「価値」が生まれるのである。

 

誰かという実態を持たないものから、「自分」という実態を持つもののために書く。

 

 

もし、自分が読者として、他にもう書かれているものが単なる焼き直し程度であれば、貴重な時間を取って、読んだりはしない。

 

世界においてその文にしかない何かがある(少なくとも、期待している)から、その文を読むのだ。

 

そして、そんな文章は、自分という読者を想定していても、公開していれば、結局、誰かに取っての「価値」になるのかもしれない。

 

 

『読みたいことを、書けばいい』というタイトルは単なる言葉遊びの類のものというだけでなく、深い深い意味があるということがお分かりだろう。

 

そして、そのことが理解出来たなら、書くという行為に対して、恐れのようなものを抱いた、私の気持ちも理解していただけるのではないかと思う。

 

「書くってそんなに大変なのか…じゃあ、やめとこ」

 

となってしまう人もいて仕方ないだろう。

 

だが、『読みたいことを、書けばいい』の警句は本当に「書くこと」だけに留まるのかという疑問が湧いてくる。

 

全てのことに言えるのではないか、と。

 

仕事でもそうだ。いや、人間の営為活動全てに当てはまるだろう

 

もうすでに存在しているものの焼き直しに「価値」はない。

 

まだこの世界にはない「価値」を生み出せ。

 

文章のマインドセットから、生きることへのマインドセットに昇華させた時、この本が本当に恐ろしくなった。

 

一方で、新たな「価値」を創造しようという志は間違ってないのだと背中をぐっと押された気もした。

 

この本を最後のページまで読み終えた時に、そんな気持ちがしたと共に、冗長に、そして、饒舌にトークを飛ばし、やっとの思いでベテラン教師から解放され、隣の友人と苦笑いしながらも、「悪い気分ではなかったなぁ」と思いながら後にした職員室の風景がそっと頭をよぎり、『読みたいものを、書けばいい』を静かに閉じた。

 

 

 

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